+act.mini 大倉忠義7000字インタビュー

大倉忠義 7000字ロングインタビュー

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 無防備な弱さをさらけ出すのか、膝を抱えて守るのか。全身を黒っぽいファッションで包み込み、鋭い眼差しで敢然と前を向くのか。カメラの前に立って〝二面性〟を求められた大倉忠義は、状況に応じて弱い自分と強さを出す自分を使い分けていた。

 しかしインタビューが始まると、軸がブレル事はなく自身の考えを静かに語り始める。今回、災害医療のスペシャリスト=通称DMATの姿を描くドラマ『Dr.DMAT』で演じる医師・八雲響。彼は医療ドラマでよく見かけるスーパードクターではない。患者の僅かな変化も見逃さない優れた洞察力は持っているが、患者に深く入り込めないトラウマを抱えた難役である。しかも毎回、事故、災害、事件などの現場に急行して〝助けられる〟患者の命を医師達は繋ごうとするが、このドラマに奇跡はない。助けられない患者も出てくる。そんなリアリティー溢れるドラマの主人公大倉はどのように捉えて、どんな風に表現しようとしているのか。

 

小誌表紙巻頭へ初登場となった大倉はトリアージ(患者の治療優先度を決める事)するかのように、こちらが問いかける一つひとつの質問に自分の考えと照らし合わせながら、丁寧に話してくれた。

 

 

ー撮影は何話まで進んだところですか?

「今、ちょうど1話が終わったくらいですね」

ー撮影に入ってからはどのくらいでしょうか?

「2週間ちょいだと思います」

ー1話で起きるトンネル内の玉突き事故。そのロケ撮影をしてきたばかりと聞いたのですが。

「そうです、そうです。行ってきたばかりで」

ー凄惨な雰囲気でリアルに描かれた現場だったそうですね?

「結構、壮絶でしたね。行った時にはセットが出来上がっていて」

ー設定は何台くらいの玉突き事故だったんですか?

「とりあえず、バスが横転していて、クルマが何十台とかっていう感じです。地元の方やエキストラの方が大勢協力して下さって。結構凄いシーンになったと思ってます。撮影前にレスキューの方から聞いた生々しい話を思い出しました。タイトルバックを撮るためにレスキュー隊員が配属されている消防署にお邪魔した時です。瓦礫が積み上がった訓練をする場所で、〝実際のこういう場所ではどんな感じなんですか?〟と尋ねたら、においや患者さんの姿について話してくれて。災害現場に入る時は命懸けですから、〝訓練は?〟〝日々の過ごし方は?〟と色んな質問もしたんですけど、現場の話が強烈に残っています。」

 

ーその上で、玉突き事故のロケ現場に足を踏み入れてみたわけですか?

「もちろん、セットなのでにおいはないんですけど、エキストラの方がメイクで血を流していたりしていたので、これが実際に起きた事故現場だったらと想像して怖かったですよ」

ー撮影に入った事で、八雲響という役柄が自分の中で変わってきたという事は?

「台本を読んだ時から、まだ変わらないですね。人物設定がしっかりしていたのもありましたけど、監督から響はこういう人だからこうしてほしいみたいな細かい話もあったので」

 

ー具体的にはどういう人だと?

「妹の事でトラウマを抱えていますよね」

ー響自身の判断ミスで妹の春子(瀧本美織)が植物状態になっています。

「そのせいで、ちゃんと医療と向き合えないというか。外来で診るだけで、患者には深く踏み込まない。本来は違う人だったんだろうけど、偽って生きている。本来の自分から距離を置いているというか。」

 

ーただ、とても洞察力の鋭い医者です。

「でも、その洞察力もどこまでのもんなのかっていうのがわからないんです。たまたまそういう才能を持ってるだけかもしれない。原作を読むと、響はスーパーヒーローではないんですよ。鋭い洞察力があったら、ドラマとして凄いヒーローになっていきそうじゃないですか。でも、そうじゃなくて、そういう一面もある人物なだけで。洞察力が優れているからといって、どんどん患者を助けて活躍していくという事じゃないんですよね」

 

ー医療ドラマによく存在する〝神の手〟を持つ医者ではないという事ですか?

「だから、響はホントにどこにでもいそうな医者だと思っていますね」

ーどこにでもいる?

「どこにでもいそうというか……」

ー抱えているトラウマは特殊かもしれませんが。

「その感情も医者側よりこっち側に近いというか」

 

ーこっち側?

「患者とか医者ではない人の気持ちに近いというか。人が亡くなったりする命に携わる現場の方って、そういう気持ちだったら耐えられないと思うんですよ。冷静に、色んな病気を宣告しなくちゃいけない。死を見届けなくちゃいけない。それを心の中で上手く整理しているから医者が出来ると思ってるんです。そうじゃないと、やっていけないと僕は考えていて」

 

ー普通の人は無理が生じると思います。

「医者としての仕事をやっていきながらなのか、研修の間なのかはわからないですけど、初めてそういう事に出くわした時は相当なショックだったと思うんです。それに慣れるわけではないんですけど、医者を続けていくために上手く整理する方法があるのか、つらい以上に人を助けたい気持ちがあるのかと考えたりしていました。響が普通の医者であればそうなのかなと思うんですけど、この人は妹を昏睡状態にしたという大きな過去があるじゃないですか。その整理がつけられないまま、ここまで来ちゃったのかなって」

 

ーその状況からDMATに配属されて、主人公は患者を助ける前に命を選ぶ事になります。

「残酷ですよね」

 

ー2話では幼馴染を事故現場で見捨てる事になったり。

「DMATの研修シーンでは、美人で性格が悪い人と不細工だけど未来がある人、どちらを助けるかというのも出てきて。医者としてはそういう考えで選ばないでしょうけど、災害現場では子供がいたら子供のほうを助ける訳ではなんですよね。人間の心理で言えば、女性や子供を助けなあかんのかなと思っちゃったりするじゃないですか。DMATは状態を診て、現場でトリアージしながら重篤だけど助かりそうな人から救命処置をしていく」

 

ーとても難しい判断を迫られると思います。

「そこではもう個人的な感情を持ってはいけないですから。そういう事は残酷だなと思います。」

 

ーこれからもドラマの中では、毎回、そんな現場が出てくるんですか?

「毎回、出てきます。まだ3話までしか脚本を読んでいないので、それ以降はどうなるかわかりませんけど。1話が玉突き事故、2話が雑居ビル火災、3話はエレベーターの事故」

エレベーターは高層ビル?

「結構、古いビルです。故障で止まったエレベーターの隙間から出ようとして下半身を挟まれるという事故で。その患者さんは助からないんですよね。響が過去に診た患者さんなんですけどね。全ての命を助けたいと思って医者になったはずの響がまた大きな痛みを抱える事になるというか」

 

ー話を聞いていると脚本を読んで全体像を知るだけではなく、シーン毎に深く考えていますよね?

「俳優としてという訳ではないんですけど、演じるキャラクターの気持ちはどうなんだろうというのはわかっておきたいじゃないですか。そこは一番考えています」

ー演じる以前に、役の気持ちを考えてみるという事ですか?

「そうですね」

 

ー役柄と適度な距離感を保っているようにも見えます。

「役柄にぐっと近づく方法がわからないだけなんですよ。よく〝なり切る〟という言葉を聞くんですけど、〝なり切る〟ってどういう事なんだろう?と思っていて。どこかに自分の考えがあって、こういう人なのかなと客観的に見ちゃっている部分がどうしてもあるんです。本番の声がかかったら、そういうものはな

くさないといけないなと思ってるんですけどね」

 

ーどこか客観的にな部分を持っているから、撮影前に原作をしっかりと読めるんですね?原作と脚本は違うものだからと避ける人もいますが。

「原作があれば、僕は必ず読みます。もちろん、原作と脚本が違うのはわかります。映像になると、きっと違うものになるだろうとは思うんですけど、原作を書いた方がいて原作のファンがいらっしゃるんじゃないですか。映像が全く違うものになったとしても、それは読んでおくべきなのかなと思うんです。原作ものにはそれぞれに、それぞれのイメージがありますよね。八雲響であれば、声はこんな感じだろうなと考えているじゃないですか。だから、僕が演じることになって、〝え、この人が〟と思う人は絶対にいます。別に、そこを否定する訳でもなく、受け止める訳でもなく、僕もそのひとつの作品の読者にのひとりにはなっておきたいなと」

 

ーあと、原作を知っていて作品を見るという人の感覚もわかりそうな気がします。

「それもありますけど、読んでいるのはやっぱり僕なので僕の解釈です。それがほかの読者と全く同じになる事はないと思いますね」

ー原作に芝居が影響される事はないんですか?

「ないです。例えば、ドラマ版の響はトラウマを抱えてちょっと心を閉ざしちゃってますよね。でも、原作の響はとても温厚な人なんです。妹のトラウマもありません。ただ、命と真正面から向き合って悩んでいる。その根本は一緒なのかなと思ったんですよね。ドラマ版の響は人が優しいからこそ(妹の事で)凄く悩んで、結果的に命と距離を置く医者になっている。不器用だけど、とても素直に生きている人なのかなと思います」

 

ーこれまでの作品でも構いませんが、役柄と大倉忠義の似ている部分を探る事はありませんか?

「全くないですね」

ー役柄は役柄?

「はい」

 

ーでは役柄自体の内面を対極で考えている部分もありませんか?この人はこういう部分もあるけど違う部分もあるとか。

「響の場合は、その逆というのが考えられなかったんですよ。1話の中にその人柄が詰め込まれていたので。事故現場に行くとトラウマの部分が表面に出てきて、応急処置を必死にやりすぎてしまうとか。その対極を考えると、凄く冷たい人間です。それはまた違う人物になってしまうなと。もし、細やかな設定がなくて、原作もなかったら撮影前に色々考えたかもしれません。こっちもアリかな、そっちはどうかなって。その上で現場に入って、共演者の方と芝居をして監督がなんと言うか。そこから決めていけばいいと思うんですけど、今回は細かく設定されているし、八雲響に関しては凄くわかりやすいのかなと思ったんです」

 

ー細やかな設定がある中でも、自分自身で役柄に工夫を加えた部分はありますか?

「アイデアというレベルじゃないですけど、〝ここで相手の目は見られないですね〟とかそういう事は言いました」

ーそれはどういう状況ですか?

「響が相手に強く言う時とか。凄く細やかなところなんですけど、新たに何が出来るかは演じてみて考えます。現場に入る前に、僕がやることはセリフを覚えていくだけ。共演者の方がどんな風にセリフを言うのかだけはわかりませんから」

 

ーそこでどんな風にセリフを言うか、どんな感情を出すかを微調整する?

「微調整というか、そこで決まる感じです。言い方を考えていくと、凄く気持ち悪くなるじゃないですか。相手が強く言うだろうと自分勝手に決めて、じゃあ僕はこう反応しようとプランを立てていっても、相手が弱く言ったらどうするんだとか(笑)」

ーそういう部分は意識しないで、セリフを単純に頭に入れていくだけですか?

「文章を覚えていおくという感覚です。大事な言葉とかはちゃんと立たせないといけないのかなと思う事はありますけど」

 

ーその程度で現場に入って、演じて決まる?

「芝居は気持ちを入れてみないとわからない部分もあるじゃないですか。特に気持ちが入る部分は、〝多分、リハーサルとは違うと思うんですけど〟と監督さんに言っておかないと撮り直しになるんですよね。一度だけですけど、決まった位置に僕が入らなくて、カメラマンさんがアワアワしていた事がありました(笑)」

 

ー『Dr.DMAT』では、そんな気持ちが入る、響の感情が爆発するシーンがたくさんあります。これまで演じてきた役柄とはちょっと異なる人物ですよね?

「1話、1話、そういうシーンがあります。でも、今までは連続ドラマで主人公を演じた事が一度しかなかったので。主人公じゃなかったらその人の話が途中で入ったり、連ドラの中で一回しか泣くシーンがなかったり、そんな感じですよね。でも、このドラマはずっとそうなんですよ」

ー脅えたり、叫んだり、怒ったり……。

「それにトラウマというもの自体がわからないじゃないですか。トラウマって凄いものだと思うけど、想像で演じるしかないなと」

 

ー誰に聞く訳にもいかない。

「トラウマを持ってる人がトラウマを話す事なんて、なかなかないですからね。そこは自分の中で想像するんですけど。過去に失敗した事が妹を昏睡状態にしたという経験はほとんどの人にないと思うんですよ。凄い失敗じゃないですか。僕が失敗する事と言えば、バラエティー番組で変な事を言って空気を凍らせるとか(笑)。そういう場合、編集でカットはされているんですけど、〝やってもうた〟と反省する訳です。で、それを引きずったまま次のバラエティー番組に出演した時に、発言するのが怖いと思う。それがちっちゃなトラウマの感覚なのかなって(笑)。その感覚が響きの場合は、ずっと大きい。その状態で医療の現場に入るだけでも空気は重たく感じるだろうし、そういう感じで想像していくしかないなと思っていました」

 

ー大きな違いが過ぎますが、雰囲気を想像するきっかけになりそうです。

「ミスはミスでも、命の現場ではショックの大きさが異なりますからね。比べられるものではないんですけど。でも、そういう事があっても。次の患者が待っている訳じゃないですか。もし、手術をしたとしても失敗じゃなくても助けられなかったという事に凄く落ち込んで、次の患者さんをその気持ちのまま診ていたら、何かを見逃して助けられない可能性もあるじゃないですか。その気持ちの整理はどうやっていけるんだろう、相当クールにならなければいけないんだろうか、そういう事を考えながら演じてる段階です」

 

ー医療監修の方に、気持ちの部分の話を聞いてないんですか?

「それは聞きたくないんですよ。怖いじゃないですか。多分、ホンマにクールやと思うんですよ。それは八雲響を演じる時に使えないじゃないですか。ただ、演じながら思うんですけど、響みたいな医者がいるというのは見ている人にとって安心ですよね。こんなに人間的な感情を持っている医者がいるって事は」

ーだからこそ、敢えて聞かない訳ですね?

「八雲響がクールな医者であれば、もちろん話を聞いていると思います。ずっとクールな医者で命を助けられなかった現場に何度も立ち会ってもそういう感情を維持出来る。響がそんな医者だったら、話を聞いたでしょうね。でも、DMATの方には話を聞きました。〝初めて現場に行った時はどんな気持ちでしたか?〟とかそういう部分だけですけど」

 

ーそのあたりの線引きは自分の中でしっかりやりながら、役柄をつかんでいるんですね。1,2話の脚本を読ませて頂いた印象では、響がDMAT隊として覚醒していく物語なのかなと思ってました。

「救えない患者もいる。それがリアルだなと思います。もちろん、命がなくなる事がいいという考え方ではないんですけど、レスキューが現場に行っても100%は助からない。それはリアルなので」

 

ーあくまでもドラマはエンターティメントですから、奇跡的な救出というのが多いですよね?

「そうそう。でも、このドラマは助からない事もあります。ただ、そこにはストーリーもあるので、残酷な描かれ方はしないんですけど、連続ドラマとしては凄い試みだと思うんですよね」

 

ーそういう現場を通して、八雲響がどう成長していくのかが楽しみです。

「僕は成長といっても、大きな成長はないと思っています。何かがきっかけで響がガラッと変わるとか、凄いドクターになっていくというのを想像しちゃいそうですけど、多分そういうのじゃないでしょうね」

ーそれは監督から聞いた事ですか?

「聞いてる訳じゃないです(笑)。響は葛藤しながら成長すると思いますけど、見ている人がわかるのかなぁというレベルかもしれないです。響にとって何かが成長なのかはわからないじゃないですか。精神的に何かをちょっと乗り越える事が成長かもしれないし、それがどう描かれるのか。どう表現するのかなぁというのは楽しみでもあり、ですね。響のポジティブな部分はそういうところでしかないので。見ている人は響の成長していく姿に、気持ちよさやハッピーエンドを感じにくいかもしれないけど、このドラマはリアリティーが見どころなのかなと思っています。DMATという医療チームが実際にいて、災害現場で戦っているという事をこのドラマでたくさんの人に知ってもらいたいというのもあります」

 

ードラマチックな医療ドラマじゃないところに興味を惹かれます。

「何よりも主人公がかっこよくはないにで。色んな取材で〝かっこいいドラマを期待しています〟と言われたんですけど(笑)。僕自身はかっこよく映りたい訳でもないですし、ホンマにかっこ悪いのが八雲響だと思っているので。かっこ悪くて、人間臭くて、ガムシャラで、というのがしっかり見せられるように頑張らなくちゃいけないなと思っています」

 

ーこのドラマを終えた時に、大倉忠義がどんな風に変わっているのかが楽しみになってきました。

「うーん、そうですね。でも……変わっていないと思いますよ(笑)」